和紙探訪

和紙探訪 · 11日 1月 2023
竹す透かし入り卒業証書
和紙探訪 · 11日 1月 2023
神奈川県唯一の和紙
神奈川県内北部には海底紙(おぞこがみ)という全国的な知名度は低いものの江戸中期から続く手すき和紙があります。以前から興味はあったもののなかなか訪れる機会のなかった愛甲郡愛川町へ横浜市内の小学校下見を兼ねて行ってきました。 海底紙は、今は愛川繊維会館レインボープラザと神奈川県立あいかわ公園にて展示の見学と体験ができます。あいかわ公園の方は営業日ではなかったので、施設の見学はできませんでしたが、レインボープラザには事前に見学の申し込みをして、充実した設備などを見せて頂きました。大型の紙漉き舟4台、叩解機(スタンパー)、ビーター、圧搾機(ジャッキ)、脱水機、平置きと縦型の乾燥機がありました。A3ほどの卒業証書透かし入り竹すが11枚あり、冬になると卒業証書を地元の小学生が漉くそうです。他にも横に5枚連なるはがきの溜め漉き道具もありました。裏手には軒下に乾燥白皮5キロほどを煮る煮熟釜、水槽がありチリよりを大人数でできるように配置されていました。この施設は繊維会館とあって、機織りや藍染め体験もできます。なかでも、組紐の組み台は数多くあり、夏休みなどに子供たちの体験として人気があるようです。
和紙探訪 · 28日 5月 2022
八王子の紙谷橋
結の会の総会を終えて帰る途中、偶然見つけた八王子市下恩方町の紙谷橋(かみやばし)。Googleで調べると紙谷の地名は他に西寺方町の紙谷公園、紙谷南公園、紙谷町会会館があった。紙谷橋の周辺には姫楮が生い茂っていた。不思議と迷い込んだのは、この日に30年来の愛車である自転車に乗っていたからだと思う。この自転車は、初めて紙漉きの修行に行った時の相棒でもあるし、大学一年生の新聞奨学生時代に色々なことに限界を感じて逃げ出した逃避行の相棒でもある。小平時代にサドルを盗まれて自暴自棄になり、一年間都営住宅の自転車置き場に捨て置いたが、その場所に行ってみるとまだそこにあり、タイヤがパンクして、ほこりまみれでさらにひどい状態であった。結の会のAさんやNさん、Iさんに勇気をもらい、武蔵村山市の自転車見聞録さんで修理を決意し、5か月後に修理を終えた自転車は、見違えるように美しく軽やかで、とんでもなく乗りやすかった。拙稿「大畑紙について」「大畑紙の復元」の中で登場した西寺方町の森屋さんの森屋荘を横目に約44キロを走り終え、昭島についた時には真っ暗だったが、清々しい気持ちだった。
和紙探訪 · 22日 9月 2018
高山市内の古い町並みを歩いていると「松倉絵馬」をよく見かける。ちょっと歩いただけで原田酒造場、坂井田屋、㈲丹後尚古堂にあった。高山陣屋近くに松倉絵馬を制作する池本屋に行って、自宅用に絵馬を購入した。家の内側に向かって貼ることや、馬の顔の向きをどちらにするか尋ねられ民俗的な風習を面白いと思った。いなか工芸館で松倉絵馬を見て、ここで漉いた和紙を絵馬に使用していると聞いた。山中和紙にこうした用途があることで伝統がつながっているのではないだろうか。いなか工芸館に貼ってある松倉絵馬には、右に「山中工房」中央上に「奉納」と墨書があり、周辺に「飛騨松倉山」「大ふく」「無病息災」「家内安全商売繁盛」「火之用心」「交通安全」「大入」の朱印が押され、中央には左足を上げてこれから駆けていきそうな黒い馬が刷られている。腹部には、朱色の腹巻に福の字を浮き彫りにし、背には幅広の飾り紐で締められている。全体としては黒い馬や奉納、奉納者名、朱印という型はあるようだが、他の絵馬を見比べてみると微妙に違い、同じ絵馬はない。奉納者の求めに応じてアレンジされて楽しい。池本屋では、美濃の機械すきを使っていて価格に違いがある。
和紙探訪 · 19日 9月 2017
昔から気になっていた福島県昭和村からむし織の里へ行った。福島の山奥に初めていったが、秋の紅葉がさぞかし綺麗だろうな思うほど、広葉樹が多かった。稲穂の黄金色と山の緑も美しかった。 目当てのからむし和紙はもう漉かれていないという。以前、織姫(機織りの研修生)の中に紙すきができる人がいて、からむし和紙が作られたそうな…。封筒5枚入りのセットが残り2つとなっていて、1つ購入。840円だった。からむしだけでは和紙にならないので、楮と混ぜて漉いているらしい。大麻を叩いた繊維も売られていて紙っぽくなっていた。昔は、苧麻は出荷用で大麻は自家用の衣類だったから大麻はこの地域では身近なものだった。現在は許可制で栃木県など一部の地域でしか栽培されていない。あきる野市落合の高野さん(東京都無形文化財軍道紙技術保持者:故人)も大麻で漉いた和紙のことを教えてくれた。とても丈夫な紙になったそうだ。 からむし織の里は、道の駅、工芸博物館、世界の苧麻60種が栽培されていたり見ごたえのあるところだった。織姫交流館では、機織りの体験もできたらしい。
和紙探訪 · 19日 9月 2017
那須岳の麓にある大丸温泉旅館に宿泊した。こちらの宿は、障子や襖などに味わいのある和紙が使用されている。間接照明も廊下の隅に点在し、目を楽しませてくれる。窓と部屋を遮る障子戸には、稲わらだろうか何か植物の繊維がたくさん入っている。よくみると、部屋側の方にはコーティング剤を塗装してあるようで固くツルツルしている。窓側の方は紙のままのようだ。強度と断熱性の意味があるのだろうか…。襖の和紙は5センチほどの長い繊維と粟のような細かい粒粒がたくさん入った和紙。和紙の使い方で部屋の雰囲気が多彩になり、静かで落ち着いた空間をつくっていたように思う。
和紙探訪 · 19日 9月 2017
福島県西郷村に行った。国立那須甲子青年の家に宿泊した際に、自然館という自然と民俗系の小さな博物館が宿の片隅にあり、部屋が近かったこともあり最後に立ち寄ってみた。ツキノワグマのはく製があり、奥の方に民具が並べられていて壁面に七福神のお面があった。説明書きがないので、わからないがお面には楮の黒皮が混じった和紙が貼られていた。お面のサイズも小ぶりでかわいい。和紙の使い方の参考になった。
和紙探訪 · 12日 9月 2017
田原町界隈で知人と待ち合わせ、以前から行きたかった藍熊さんに行く途中田原小学校で「紙漉町跡」の案内板を目にした。台東区教育委員会によれば「江戸における最初の紙すきが行われた場所である」と説明がある。紙すきにとっては聖地のような場所である。少し感慨にふけりながら、さらに読み進んでいくと江戸中期頃から橋場や鳥越、足立区千住方面でも生産されたようである。100年の間に徐々に広がっていったのだろう。いわゆる浅草紙はその後浅草では作られなくなり、足立区などほかの地域でさかんに作られるようになる。 手元にある関義城著『江戸東京紙漉史考』昭和18年発行には浅草紙の他に鼠半切、張箱紙、鼻緒芯紙、砂糖袋紙、縮緬千代紙、吉原紙など40種類の手漉紙見本が添付されている。産地は千住、音羽、西巣鴨、落合、小石川、中野、葛飾、荏原郡などあり現在の足立区、文京区、豊島区、中野区、葛飾区、品川区にあたる。昭和初期頃まではまだまだ東京都内でも紙すきが行われていたようだ。機会があれば調べてみたいと思っている。